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2013年9月21日 (土)

HDR処理の是非論

HDR処理が天体写真にも広まりつつあるのは、カメラやソフトの進化で天体画像素材にも余裕が出て来た証拠なんでしょう。

一般写真の高名なブログなどを見ていると、HDR処理はお散歩写真の風景スナップにも使われ、もはや生活の一部という感があります。
写真表現は自由なので、そのイメージが不自然にならない程度に処理する分には、見ていて楽しいし問題ないと感じます。

ただ、技術というのは所詮1つの引き出しに過ぎません。
引き出しを常時開けっ放しにしてヒットが出るまで何でもかんでもHDRを使い続ける、と言うのは何か違う気がします。
やはり、必要に駆られてその引き出しを無意識に開ける、というのがツールとしての本来あるべき姿だと感じます。

では天体写真におけるHDR処理はどうでしょうか?

表現が自由であることを前提にすると、良し悪しを論じる事は出来ません。
ただし画質については別問題でしょう。天体写真にとってHDRは紛れもないダメージ処理です。
僕自身、次撮る対象こそは海外風に、と思うこともありますが、結局普通(非HDR風)に落ち着いてしまうのは、その理由が一番です。
強いダメージを加えて画質を劣化させてまで、解像「感」(=あたかも解像度が向上したかのような錯覚状態)を求めようとは思わないからです。

まあ、良し悪しを論じることが難しい部分でもありますので、これ以上は書けません。
ただ少なくとも、何でもかんでもHDRと言うのはクールじゃないよね。

フォトクリエイトの1スタイルを愚弄するようですが、「出来るけどやらない」というのが一番クールだと思います。
技というのは、ちょっと路線を狂わすと、すぐさま個人のエゴとか虚栄心が作品に露呈してしまうんですよ。はたから見てその作品が見苦しい時だってあります。
だからやっぱりね、何となくだけど、どこかで線引きはしなきゃいけないなって思うわけですよ。

そんな理由で僕の結論。
HDR処理は練習を重ね経験を積み上げ、習得後は一旦それらの技巧を全て断じ忘れ去り、自然に自分の手が引き出しを開ける日を待つ、というのがあるべきクールな姿だと思います。

無作為から生み出された技巧はある意味天然モノ。必ず人のハートに響くでしょう。

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画像処理」カテゴリの記事

コメント

HDRや画像復元は確かにダメージ処理ですよね。
僕自身今まで、画像復元を掛けたのは、去年のM42とマルカリアンくらいです。
M42はこれでもか!ってくらい掛けてますが、不透明度で30パーセントほど混ぜて終わりました。
HDRやDECOは対象によっては全く効果を発揮しませんから、無闇にやたらと掛けるのはnGなような気がします。
明るい対象で十分SNが上がっていて、尚且つ立体感のあるM42だったり銀河なんかも効果があるでしょうね。
恐ろしく枚数とSNを必要としますので、淡い物は意味を成さないでしょうね、きっと。
HDRは掛けて面白いのですが、2日ほどして客観視してみると、恥ずかしくなります。
人間って(変化)があるとあたかもそれが良い方向に進んだと勘違いするんではないでしょうか?
おぉ!微細構造が浮かんだ!凄い!みたいなね。
宅録してても同じですよ。
ギターのハイを上げると、抜けてきたような錯覚に陥るのと似てますね。
スネアなんかパンパンに張ってキンキンうるさかったりね(笑)
でもその瞬間って中々気付かないんですよね~
難しいもんです…
冷静に客観視出来るか?重要ですね。
私もその辺りが出来ておらず中々前へ進めません。

投稿: slo | 2013年9月24日 (火) 23時09分

sloさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
sloさんの画像が与える影響は大きく、僕も先日まではあの領域を撮影してやろうと思っていたのですが
sloさんの作品を見てから、ちょっと躊躇というか、もしやるなら2モザイクじゃないと構図的に対抗出来ないなと
思いとどまっている状況です。
そうですね、やっぱりダメージの大きな処理というのはM42中心部とか光量が十分確保された対象には積極的に用い
ても支障なさそうですが、淡い対象はたちまち階調トビが気になってしまいますよね。

>人間って変化があるとあたかもそれが良い方向に進んだと勘違いするんではないでしょうか?

まさにその通りですね。
新製品が良い例で、iphoneでも何でもそうですが、新たなものが発表されると仕様や購入動機二の次にして、まず
物欲が沸いてくることがありますよね。あれは、「変化することはきっと良い(はずだ)」という先入観がそうさせ
るんでしょう。天文機材でも同様ですね。けど、実際にそれで天体写真が良くなるかどうかって部分についての考慮
は殆どされていないケースが多い気がします。
僕はその部分を特に考慮するし、その思いが強いせいで、逆に最近期待とは反した不安に駆られます。
本当に自分が今やろうとしている方向が正しいのだろうかって。
HDRも然りですが、やはり光を集めることは正義だろうという信念だけは捨てたくないので、何らかの形で今の現状
を打破して成長に結びつけられたらと思いますよ。
ある程度まで習得してくると、もう余程失敗を重ねるなり努力をしまくるなり、なにか発想転換をしない限り、
なかなか目に見える成長って得られないような気が、最近しますね。

投稿: よっちゃん | 2013年9月24日 (火) 23時51分

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