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2013年3月28日 (木)

デジタル時代の自由について

機材や撮影環境の進化によって、デジタル天体写真はより自由度が高まってきました。
けどあまりに周辺環境ばかりが自由になりすぎて、何をどうすればいいのか分からないという方も多いと思います。

「何を目標に、何を拠り所に作品づくりをすればいいのか。」

人ってその境遇が本当に自由であったと気づくのはそれを失ったとき…なんて言いますよね。
それと同様のことが、このデジタル天体写真でも言えるような気がします。
いっそのこと、一度試験的に自由を奪うことで自分が天体写真を通じて何を得たいのか、何を拠り所に作品づくりをするのかが見えてくるのかもしれません。

僕は機材のあれもこれも所有しているわけではありませんが、単体では高価な機材を持っていることは否めません。
そんな自分がこんなことを言うのは説得力に欠けると言われるかもしれません。

けど僕から見たら、高額機材を所有している方の一部は
「甘んじるために高額機材を入手している」
ような気がしてしまいます。
頑張って稼いだお金と引き換えに、性能という自由を身につける。
ここまでは良いです。
問題はその動機が、「楽をしたいから」という部分ですね。
ここが、僕の考え方と決定的に異なります。

機材が進化する、カメラが進化する。
それは、誰のおかげだろう。
少なくともユーザーである僕らのおかげではありません。
カメラメーカーがやった仕事です。
その能力に甘んじて、ユーザーは手を抜き「楽勝」の喜びをかみ締める。
それって単に、自分がやったわけでもない他人(メーカー)の功績を、使い手が紹介しているだけに過ぎないんですよね。

「新たに手に入れたAというカメラはBという旧型のカメラに比べ3倍の威力を持つ。だから、私にかかる負担・苦労はこれまでの3分の1で余裕の楽勝なんです。」

って自慢したところで、僕はそのユーザー個人を何もうらやましいと感じません。
へぇー。カメラメーカーはすごいね、って思う程度です。

問題は、自由を得た人がそこで何をすべきなのかということなんですよね。
画像処理でもそうです。
大抵の人は、コマンド1発で美しくなってくれるソフトの到来ばかりを待ち望んでいます。
けど、天体写真に限ってはそんなものは何処にもないと思っています。
写真への感性とか、その蓄積から得られる道標が出来上がっていない限り、どんな1発コマンドも成功には導いてくれません。
完成に至るまでのプロセス・分岐点があまりにも多く、どうしても写真の光や色を知っていないと成就しない趣味なんです。
こういってしまえば天体写真ってすごく難しいことに思えるかもしれません。
けど、逆に言うと、写真への敬意を持ってさえいれば、機材がどうあれ処理フローがどうあれ、必ず成功への扉は開けるでしょう。
自由なだだっ広いグラウンドに一人立ち、どこをどんな速度で目指せばいいのかが分からない状態の人で溢れかえっているのが、この業界を見て感じる印象です。
写真への敬意さえ抱き続けていれば、どんな環境であれネットで交流するしない問わず、経験によってその人は上達していくことでしょう。
撮影技術だってそうです、すべては光を適切に集めるという写真撮影の根源から全てのノウハウは自然と醸成されていくはずなのです。

だいぶ以前、ある方が画像処理を教わりたいと僕を訪ねてきたことがありました。
その際、その時持っている自分の手法をあれこれ実演し解説してみせました。
けど、最終的にその方が言ったセリフが非常に残念でした。

「いやー、もういいです。分かりました。画像処理が難しいってことが良く分かったので、もういいです。」

…仕事じゃあるまいし、どうして、人はそんなに近道ばかりをしたがるんだろう。
使い古された文句ですが、それならハッブルの写真集買えばイイだけじゃない?


「楽チンで余裕ですわー。」
って、余裕をかましている姿を見せたがる人は実に多いです。
分からんでもないけど、なぜそこまで?って思う。
逆に人は、「必死だね」と言われるのを嫌います。
マジレスっていう用語が某掲示板にあるけど、
あれは「普段オレは本気を出してない。今のはおアソビ。」
と言いたいことの裏返しなのか。
そんなに余裕をかましたいものだろうか。
余裕をかます姿を見せたいがために、必死になってる人すらいます。
ただ、少なくとも一つ言えること。
それは、楽チンで余裕なのはあなたの功績じゃない、ということ。その機材をこしらえたメーカーだ。
そこで結局旧型と同じような結果しか出していないようなら、そんな余裕の体験談を綴ったところで、それは言い訳を綴っているだけにしか過ぎないのです。
僕はそんなかりそめの喜びに浸りたくないな。
そんなかりそめの快楽に甘んじてしまうと、ただでさえ遠くにある真実が、より遠ざかってボヤけてしまう気がします。
とにかく真実を見たい。そしてそれを発信する。
今年の僕の天体写真のテーマのひとつは、そこにあります。
人の反応は二の次です。
ただし、その発言が真実であればあるほど、往々にして人は沈黙する傾向にあるのも事実。
そんな「群集」の心理・行動パターンを先読みして、あえてお茶を濁す方向で書く。
人の反応・機嫌を伺いながら人気やコメント数が落ちるのを回避する。
そんなものが肥大化し、Webはいかにも最大公約数的なコミュニティを醸成する。
そんな本音を言えないWebはうんざり、とTwitterやFacebookや巨大掲示板に逃避する。
「おお、ここなら本音を綴れる。」…けど、そんな逃避先も行く末は一緒でしょう。
単に言い訳を発信する媒体形式が違うだけ。
群集という水たまりが2つや3つに分裂しただけです。

…僕は、そんなしがらみからは解放された立ち位置でこの趣味と向かい合いたいのです。


話がそれましたので、まとめます。
結論として、だだっ広すぎる自由。
拠り所とすべきポイントは、この趣味は結局写真を扱うものだということ。
どれだけ理論や知識を持っていても、光や色や階調に対するオマージュというかリスペクトの精神がそこに含まれていない限り、決して浮かばれることはないでしょう。
いつからこの業界は、そういう悪循環に陥ってしまったんだろう。
今夜もこんな駄記事を綴りましたが、別に特定の誰に言ってるってことはないです。
私のことかって思われる方。いや、そんなことはないでしょう。
全体的なムードに、ただそう感じてるだけ。
ただ、僕はこの現状をちょっぴり打破してやりたいって思ってる。
結局何やかんや難しいこと言っても、この趣味は写真であり、そのためには撮影なんですよね。

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コメント

お久しぶりです。
このブログをいつも楽しく見ています。
最近は撮る事より見る方が多くなっています。
相変わらず星より機材の私です。

ところで
<大抵の人は、コマンド1発で美しくなってくれるソフトの到来ばかりを待ち望んでいます。
正におっしゃる通りで、私もその一人です。(汗)
デジ一で風景を撮った時の様にパッと表れてくれればと。。。
『 楽しい!』を体験する前に、なんじゃコレ的な画像が表れて
面倒に感じる画像処理に挫折してしまうのではないかと。

60~65点ぐらいの画像がボタン1つで現れれば、最初はそれで大満足します。
まずはそこまでをソフトが担ってくれれば、楽しい第一歩が体験できますので。
で、それでは次第に満足できなくなって本格的な画像処理や感性を磨く事に繋がって行くきがします。
何でも同じだと思うのですが、相応の苦労があって醍醐味を味わえるものだと。
知れば知るほど次なる課題が表れて、それが克服できると面白い。
追求すると基本に戻ってしまうというか、基本がいかに大切かを実感してしまう。
画像処理ムービーを拝見した時に、そんな共通の思いがこみ上げてきました。
ただ、いくら大切な事を伝えようとしても体験しないと理解も実感もできないので、『 はい、わかりました もう結構です。』 的なお互いにとって残念な事も多々ありますね。

そんな事を言う私は、画像処理は今だにあまりやっていないというか撮っていないというのがオチですが。(笑)

話は変わりますが、CCDの軽微な結露は以前体験したことがあって
レンズ側から電灯を当ててCCDをパッと見では気付かないものの
室内の同じ風景を撮っていても時間と共に2倍とか露出時間を延ばさないと同じ明るさになりませんでした。
画像自体はボケるとかの変化は感じられなかったので不思議に思っていたのですが
冷却前と冷却後のCCD面をデジ1をズーム撮影して比較すると
玉ぐし色の鮮やかさが微妙に違っていました。
以前よっちゃんさんがCCDの結露について話題にされていましたので、ついでに書かせていただきました。

投稿: 金子 | 2013年3月28日 (木) 03時35分

金子さん、こんばんは。ご無沙汰しております。
コメントを頂き、ありがとうございます。
眼視観望を楽しんでおられるのですか、天体観測の一番の醍醐味なんでしょうね。
写真にハマってしまうと、本来の癒しのひと時を見失いがちとなってしまっていけませんね(^^;
金遣いが荒いくせに貧乏性なのか、僕は自分が手に入れた機材を執念込めて使い倒す(もしくは速攻で
売り飛ばす)傾向にあるようです。

センサーの結露ですか。
僕も冷却CCDの電源を落とさざるを得ない状況の際に、何度か経験したことがあります。
露出倍数、確かに変わりますよね。
他の例として、EL板でフラットを撮影していますが、中間に白ビニールをかぶせて撮影すると
一気にカウント値が下がりました。もともと明るすぎる傾向となりやすいEL板なのでちょうど良いと
いえばそうなんでしょうけど。それと一緒かもしれませんね。
目に見えるようなくもりはもちろんなのですが、軽微で目視確認することの出来ない曇りなどがあると
判断に迷うことがありそうです。空だったのか結露だったのか、と。
やはり対策を徹底するに越したことはないのでしょう。

投稿: よっちゃん | 2013年3月29日 (金) 00時01分

こちらの記事も興味深いですね。
確かにここ4~5年で機材含めいろんな変化が天体写真において起こったように感じます。
特に注目なのは撮影用カメラや処理ソフトではないでしょうか?自分はここ2年ほどまともに撮影ができてはいないのですが、2年ほど前はデジタルカメラでの作品がまだたくさん見られたのですが、先日天文誌を拝見したら冷却CCDの多いこと…。今では本当に気軽に手に入れられるようになったのだなと感じさせられました。ブログを徘徊してみても冷却CCDでの撮影をされている方が多いですね。
その一方で感じられることもあります。自分もいずれは冷却CCDを導入してモノクロならではのデジカメでは到達できない素晴らしい天体写真を撮影したいなぁと考えてるのですが、冷却CCDを使っていながらなかなかデジカメの壁を越えれない、あるいは思ったような画像ができないで苦労している人が多いかも?ということです。
冷却CCD価格が下がり、選択が自由になり、敷居が下がったのはいいのですが使いこなすためにはそれなりの知識と修練が必要というところはあまり変わっていないというのが本当のところなのでしょう。屈折か反射か?でも少し書きましたが機材の性能は申し分なくても使いこなせなければ…というのが大きいですね。

デジカメor冷却CCD、望遠鏡orカメラレンズ、国産ソフトor海外ソフト、選択肢はいっぱいありますがよっちゃんさんの最後の1行が大事だと感じます。
ここを軸にして天体撮影を楽しんでる人はどんな機材を入手してもきっと伸びていくのでしょうね。自分が写真を撮るんだという思いって大事ですね、機材が撮ってくれるわけじゃないんです。このことっていつも自分に言い聞かせてることなんです。自分はまだしばらくはデジカメですから…。カメラ勝負したらなかなか勝ち目がないですからね。

よっちゃんがこの現状をちょっぴり打破したい気持ち…ちょっぴり分かります。

投稿: yuji | 2013年3月29日 (金) 07時05分

よっちゃんさんこんばんは。いつもブログを楽しみながら、そして噛み締めながら拝見しています。いつもこうして有益な情報、そして思考する問いを提供いただきありがとうございます。

 冒頭でもおっしゃられているとおり、確かに機材は高額化していきます。自分もそうです。大枚を散財してまでそうした機材を求めるのは、やはり「楽をしたいから」であってはならないというご意見、賛成します。結果として楽になる事はあります。例えば調整の精密さが担保されたり、レスポンスが向上したことで操作性も向上する、などです。光学系ならば調整のほか、大切な星像のシャープさ、周辺減光の少なさ、像面湾曲の少なさなどです。これは光学性能をしっかりしたものを手にしたいのであれば、その分生産の時点で良い部材を使ったり、調整、検査に時間と手間をかけている機材であり、それだけコストが上がってしかるべきだと思います。赤道儀、CCDにも同じことはいえます。

 でもだからといって、それを組み合わせたら満足いく写真が楽に撮れる、というわけでないのは、多くのファンの体験するところではないでしょうか。シャープなゆえに今まで気づかなかったあらが見えてきます。スケアリングや光軸などは最たるものでしょう。性能がよいがために、ちょっとしたあらがあれば一発で見えてしまいます。また高価な機材の性能を引き出すためには、日々の努力と学習、経験の積み重ねが絶対に必要ですし、それを日頃から考えるようにしたいものです。

 そういう意味で、このブログは大変勉強になります。ありがとうございます。
 


※FLIカメラ近況
 昨日販売店から「FLIカメラが米国から届いた」と連絡をいただきました。喜び勇んでいたところ、ちょっとした手違いが発覚しました。販売店も米国へML16000を頼んだところ、どういうわけかPL16000が届いたらしいのです。同じ代金でPLを受け取る事ができますが、まだ決断できずにいます。冷却機能は強力なようです。使っているCCDは変わりありません。つくりは頑丈ですが重さは2.5kgだそうです。重量はありますがFSQ106EDの接眼部なら支障内との事でした。ちなみにどうしてもML、ということになるとまた2、3ヶ月待ちだとのことでした。思い切ってPL16000を受け取ってみようかとも思っています。

投稿: 松林@青森 | 2013年3月30日 (土) 01時53分

yujiさん、こちらの記事でもご意見ありがとうございます。

カメラも望遠鏡もやはり、写真を撮るための道具なんですよね。
なのでyujiさんが仰るように、この道具を手に入れた時点が「物欲の終了」ではなくて「写真創作の始まり」なんですよね。
どうも手に入れてはい、終わり。って方がこの業界は多すぎるような気がします。

>自分が写真を撮るんだという思いって大事ですね、機材が撮ってくれるわけじゃないんです。
>このことっていつも自分に言い聞かせてることなんです。自分はまだしばらくはデジカメですから…。
>カメラ勝負したらなかなか勝ち目がないですからね。

「機材が撮ってくれるわけじゃない、自分が撮る。」
すごく良いことをおっしゃいますね、まさにその通りだと思います。
デジカメでも冷却CCDでも、機材の秘める能力を存分に引き出した結果って、人の心を動かすエネルギーを持っていますね。
たとえデジカメであっても、それがもしノイズが多い素材だとしても、ノイズの見せ方によっては下手に冷却でノイズを過処理
で溶けたような描写になってしまうよりもイイ感じに見えることだってありますね。
音楽でもそうですが、ある程度のノイズって人間の視覚・聴覚に必要なものなんじゃないかなって思うこともありますね。
yujiさんもいずれは冷却CCDを手に入れるのか、それともデジカメのままなのか、分かりませんが、今あるデジカメを踏み台に
して使い倒すつもりで写真について色々学ぶにはとても良い教材じゃないかなって思います。
1つの機材と向き合うことで、色々なことを教えてもらえますね。
広く浅く見ることも大事ですが、世の中はあまりに多くのモノであふれています。
実は1つの事柄にずっと没頭することで、その他のあれこれが一挙に共通事項としてつながった悟りみたいなものが開けてくる
こともあるかもしれませんね。
お互い、頑張って精進しましょう。

投稿: よっちゃん | 2013年3月31日 (日) 22時07分

松林さん、こんばんは。コメント頂きありがとうございます。

仰る通りですね。機材って高額を出して買う事によってある程度の楽や性能向上を味わうことが出来ますが、どんな機材でも最終的には
「伸び幅」みたいなものがあって、それを伸ばしてやる努力が結果として人の心に響く作品となるのでしょうね。
どんなに高額な機材を並べても、使い手に問題意識や改善意識を持たなければ、安価な機材でそれを行っている方の作品に見劣りしてしまう
のは必至だと思います。天体写真は、その辺りがとりわけ顕著に出るジャンルですね。

カメラはそうだったのですか!びっくりですね。良かったと言えばラッキーですが、ちょっと戸惑いがありますよね。
重量も変わってきますし、フランジバックなどはいかがでしょう。
これにCFW1-5をつけるのですね。冷却能力の高さはPLのセールスポイントなので、より優れた素材が得られることでしょうね!
いやー、羨ましいですよ。是非受け取って下さい。次なるレポートを楽しみにしていますね。

投稿: よっちゃん | 2013年3月31日 (日) 22時35分

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